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散歩写真 : 千駄ヶ谷の鳩の森神社で富士塚(千駄ヶ谷富士)に登ってみました [散歩写真]

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寝正月ではさらに太ってしまうと思い、ブラブラ散歩に出掛けました。国立競技場がどの程度、出来上がってきているのか見に行ってみるかと思い立ち、ついでに、久しぶりに鳩の森神社の富士塚見物もしてみました。

★ 千駄ヶ谷富士に登頂

鳩森八幡神社は、JR千駄ヶ谷駅から東京体育館(今、工事中)の脇の坂を登った先にあります。富士塚が残っているので有名。その富士塚は「千駄ヶ谷富士」と呼ばれています。江戸時代に造られたと伝えられていて、現在は都指定有形民俗文化財にもなっています。そしてうれしいことに、この富士塚はちゃんと“登山”できるんです。都内には他にも富士塚がたくさんありますが、保護のためだったり、既に崩れてしまっていたりして、実際に登れる山は多くありません。この千駄ヶ谷富士は今もきちんと登れるのが魅力。

こちらは裏口かな。
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富士塚は、富士山を模しているので、富士山にちなんだ“Attributes”が色々と造られています。
こちらは、山頂の「奥宮」。本物の富士山の山頂近くにも、浅間大社の奥宮(富士山本宮)がありますが、あれです。
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「奥宮」の脇には「金明水」と「釈迦の割れ石」。
富士山にも湧き水が湧いているところがあるんですね。それが「金明水」。ほんものは、今では水質的に“飲料に適さない”となっているようですが、昔の人は富士登山の時に飲んだのかな。
富士山には名前の付けられた石(岩)が一杯あるようですが、その一つが「釈迦の割れ石」。なんでお釈迦さんなのでしょうかね。
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「食行身禄(じきぎょう みろく)」さん。江戸時代に活躍した、富士信仰(富士講)の指導者。富士山に登り、烏帽子岩のそばで断食を行い、そのまま“仏”になったのだとか。それ以来、自身がこのように信仰の対象となったのでした。
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千駄ヶ谷富士でも、「食行身禄」さんの祠のそばには「烏帽子岩」がありました。三角の尖った岩は“烏帽子”と称されることが多かったんですね、昔は。
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富士山の麓にあるのが「里宮」。千駄ヶ谷富士にもちゃんと「里宮」がありました。スペースの問題もあるのでしょうが、山頂の「奥宮」に比べるとずいぶんと立派ですね。
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蛙はどういう繋がりがあるのかな?
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富士塚の裏の方にあった碑。これは何を祀ったものなのかな?うむ、わからん。
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登頂の様子。意外と急なので、気をつけて登りましょう。いや、降りる時の方がより注意しないと転んじゃいますよ。
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実際にはこんな感じです。


神社の手水舎。人感センサーが付いているのかな、近づくと水が流れます。
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初詣シーズンなので、茅輪も造られていました。
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★ 将棋会館やら新国立競技場やら

いつもは静かな境内。もちろん、初詣シーズンは人が増えます。でも、この日はすごい人。どこかの団体さんが参拝されてました。
と、よく見たら王将の碑を前にして神事を行ってます。それでやっと気が付きました。なんと、日本将棋連盟のみなさんの初詣だったんです。よく見ると、私でも知っている有名な棋士が何人も。連盟会長の佐藤康光九段や、森内俊之九段とおぼしき人も。藤井聡太七段もいたのかな。ちと見分けられなかった。残念。
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これが、でっかい王将が祀られている将棋堂。
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鳩の森神社のすぐ脇にあるのが東京・将棋会館。去年は藤井聡太七段のお蔭で、何度もニュースに出てきましたね。
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で、当初の目的だった(新)国立競技場の様子をチェック。知らないうちにかなり出来上がってましたよ。一事はオリンピックに間に合わないんじゃないかと言われていたけど、外から見る分にはイケてるみたい。
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ということで、久しぶりの散歩写真でした。正月休みももうすぐ終わり。さて、ぼちぼち働きますか。







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難波漫遊 散歩写真 その2: 大阪城、広いなぁ。真田丸ってこんな遠くにあったの? [散歩写真]

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★ 少彦名神社は金の虎がお出迎え

大阪城には行かないといけないだろうと、取りあえず決めてはいたんですが、まだ少し時間があったので寄り道。
訪れたのはこちら、少彦名神社です。「すくなひこな神社」と読みます。名前に惹かれてチョイス。日本の神話では、国造りでお馴染みの大国主命(おおくにぬしのみこと)の協力者で、一緒に頑張ったけど、粟(あわ)の茎に弾き飛ばされて常世の国(死後の世界? 桃源郷?)に行ってしまったのだとか。これだけ聞くと、国家統一の際には貢献したけど、その後に疎まれて殺されてしまった数々の人物を思い浮かべてしまいます。例えば源義経だとか。

で、少彦名さんはどうやら農耕神だったようで、そこからさらに発展し、今では農業・酒造・医薬・温泉の神として信仰されているそうです。上記の公式サイトでも「日本医薬総鎮守 病気平癒・健康成就の社」としてこの神社が紹介されていました。
張り子の虎もシンボルらしく、境内にある(?)くすりの道修資料館町の入り口では金の虎がお出迎え。

場所は大阪のオフィス街として有名な北浜の一角。ビルの脇を入っていくとこんな感じの境内が現れます。なかなか立派な御神木。
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本殿の中にも張り子の虎。薬の神様ということで、製薬会社からの寄進も多く、垂れ幕やらなんやらに色んな会社の名前が見受けられました。神社に寄進・奉納する企業って多いですよね。やはりビジネスも神頼みのところがあるのかな。
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★ 大阪城の天守閣は後光が射していた

石山本願寺を攻め落とした織田信長(の家来)がここに城を築き、後に豊臣秀吉が自身の本拠地として整備、さらには大坂夏の陣敗戦後に徳川家康によって一旦更地にしたあとに現在の姿で(再)築城。だが、幕末の動乱の戦火でほとんどの建物が焼失。その後に再建された建物も太平洋戦争の空襲でほとんどが焼失。戦後、新たに復興・再築された。。。。
と、かなり紆余曲折ありの歴史を辿ったお城。いやぁ、苦労したんですなぁ。そんな歴史を背負っているからかどうか分かりませんが、天守閣には後光が射していましたよ。
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豊臣秀頼と淀殿が自害したとされる山里丸(城の敷地の中の“広場”の一つ)に建てられた記念碑。
上記の通り、豊臣家の大阪城は跡形もなく消えてしまったので(遺構は地下に埋まっているようですが)、実際の山里丸がここだったのかは不明。
現在のこの場所は、天守閣へと続く道からちょっと離れたところにあります。そのせいか、余り訪れる人もなく、ひっそりとしていました。
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冬晴れだなぁ、大阪は。大阪の街を今でも一望できる大阪城。
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いざ、天守閣へ。昭和に入って再建された鉄筋コンクリート造りではありますが、その後の大空襲でも一部損傷ですんだそうで、今に至っています。
中に入ろうと思ったんですが、入場チケット売り場で既に大行列。諦めてしまいました。京都もそうですが、ここでも観光客が押し寄せすぎてしまう「オーバーツーリズム」状態。うむ、難しいけど、何とかしないといけないですな。
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秀吉さん、人気者なんですねぇ。豊国神社の入り口にはどーんと銅像が建っていました。
なぜか(?)徳川家康などの銅像はどこにもなし。江戸時代には、大阪城は西日本を統括する重要拠点として、徳川の城だったはずなのに。日本人の判官贔屓の分かり易い例かな。
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★ 真田幸村の人気衰えず

判官贔屓といえばこの武将も然り。大河ドラマでもお馴染みになった真田幸村です。大坂冬の陣では大阪城の南に“真田丸”(陣地・砦)を築いて徳川軍に善戦したことで有名。その跡地ははっきりとはしていないそうですが、ここじゃないかと言われている場所が公園となっていて、その中にこちらも銅像が建っていました。敗軍の将ばかり銅像を建てるところ、大阪の人々の気質、思考が見え隠れしますね。
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そんな真田丸には、大阪城まで続く地下通廊が造られていたという“伝説”もあり、こんな感じで抜け穴の出口(入り口)が再現されていました。大阪城の天守閣からは一キロほどは離れているでしょうか。もし、本当に抜け穴が掘られていたとしたら、かなりの大工事だったでしょうね。
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公園の中には三光神社があり、かつての激戦の地も今は静かな佇まいでした。
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真田丸は大坂冬の陣の後に取り潰されたそうですが、さらに歴史が下って明治の世になると陸軍省の施設が次々と造られ、墓地もここに設けられたのだそうです。古くは西南戦争の戦死者を埋葬し、日清・日露戦争、満州事変、太平洋戦争の戦没者もここに眠っているとのこと。
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墓地とは言え、陸軍の施設だったため、当時は警備が非常に厳重だったとか。関係者以外立ち入り禁止の墓地だったのでした。今は公園に連なっていることもあり、私もこんな風に入り込めた、オープンな場所になってました。
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最寄り駅は玉造駅(たまつくり駅)。場内放送ではその駅名がちょっと違ったように聞こえるとの話があったけど(これを参照してくださいな)、普通に「たまつくり~」って言ってたな(笑)。
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ということで、半日ほどの大阪観光でした。同じ都会ではあるけど、東京都は雰囲気の違うところが楽しいですね。いやぁ、楽しかった。年明けもまだ出張は続くので、またどこかに行けるかな。







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難波漫遊 散歩写真 その1:大阪、どこを観て回れば良いか分からず、あちこち徘徊 [散歩写真]

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★ なんば日本橋(にっぽんばし)

大阪出張が続いています。そのため、ブロガーのイベントや美術館の内覧会などに参加できないのが寂しい。
まあ、その反面、知らない街をブラブラする機会はちょこちょこあるのですが。ということで、大阪の街をブラブラしてみました。でも、事前にちゃんと下調べをしなかったので、行き当たりばったり。

泊まっているホテルが日本橋(にっぽんばし)の中にあったので、まずはその近所から。
大阪の日本橋は「にっぽんばし」と読むそうです。東京の秋葉原のような電気街。そして、アキバと同様、こちらもアニメとメードの世界になってました。裏通りはアキバ以上にメイド喫茶が並んでいる感じ。客引きのメイドさんが私のようなおじさんにも声をかけてくれるんだけど、さすがにねぇ。

アキバもそうだけど、こちらも街を歩いている人はほとんどが中国や韓国からの観光客みたい。耳に聞こえてくる会話は中国語、韓国語ばかり。すごい人気です。
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謎の自転車(?)。クリスマスの晩、ある電気屋さんの店先に駐まっていました。サンタも最近はチャリンコを使うのか?!
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街中の神社の境内には、第二次大戦中の大阪空襲で落とされた爆弾の破片が飾られていました。こんなのを街中に落としていくんだから酷いもんですな、昔の戦争は。もちろん、今だって、いやいつだって戦争は酷いもんでしょうけど。
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★ なんばの街をブラブラ

前を通っただけで入りはしなかったのですが、吉本のなんば花月を見学。若手の芸人さん達が劇場前で一生懸命客引き・ビラ配りをしていました。修行の身は辛いねぇ。
この向かい側にはNMB48の劇場も。にぎやかにぎやか。
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法善寺の水かけ不動明王。細い路地の途中にあり、参拝客で行列ができてました。
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毎日、毎日水をかけられているからでしょうか、お不動さんの身体は頭の先から苔だらけ。苔玉のような感じになってました。写真の被写体としては良いですね、この感じ。もうちょっと近づいて、瑞々しさを出せれば良かったな。
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昭和初期の小説や、歌謡曲でもお馴染みの法善寺横丁。なるほどこんな感じのところだったのか。雰囲気としては、神楽坂っぽいのかな。夜はさらに賑わうんでしょうね。
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★ 道頓堀川

ここも取りあえず見ておかないといけないポイントかな。
六本木のドンキホーテは残念ながらジェットコースターの線路も外されてしまったようだけど、こちらの観覧車は健在。インパクト在りますね。
周りには大行列のできている店が一杯。川縁だけでは収まらず、橋を渡って向こう岸まで伸びていた。
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大昔から知ってはいたものの、本物を目の前で見たのは初めて。いやぁ、これがあの有名な看板ですか。今も昔も走り続けているんですねぇ。周りのビルも看板だらけだけど、やっぱり目立ちます、グリコさん。
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昔はここを、荷物を山のように積んだ船が行き来していたのでしょうか。今は観光クルーズ船が行ったり来たり。いつか乗ってみたいな。
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ということで、大阪散歩はもうちょっと続きます。







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