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「アルザスの言語戦争」 [読書 : 読んだ本の紹介]

十九世紀フランスの作家ドーデの「月曜物語」の中の小品集に「最後の授業」という一編がある。私が子供の頃には国語の教科書に収められていたので知っている人も多いかもしれない。フランスとドイツの国境地域のアルザスにある街ストラスブールが舞台で、フランス領だったのがドイツ(当時はプロイセン?)に占領され、学校でもフランス語の授業が消えてしまうという話だ。最後となったフランス語の授業で先生は、黒板に大きく「Vive La France! (フランス、万歳!)」と書いて締めくくったのだ。短編ながら心打つ話で、今でもよく覚えている。
子供の頃の私は「コンバット」やその他のハリウッド映画に洗脳されてか、単純に戦争においてのドイツは悪い国、他のヨーロッパの国々は被害者という考えに支配されていた。その考え方自体はさすがに今では変わってきているが、当時読んだ本の感想(印象)までも連動して切り替わりはしないようで、「最後の授業」の中のドイツは悪い国のままだった。だが、今回、この本を読んで話はそんなに単純じゃないことがよく判った。アルザスの歴史は部外者には理解しにくい複雑なものがあったのだ。
作者はアルザスの人。自分のアイデンティティの一部としての言語を追及している。アルザスはもちろん、今はフランスの一部だ。私も行ったことがあるが、自然も豊かで、非常によいところだ。当然、使われている言語はフランス語なのだが、アルザス地方の方言(アルザス語)はドイツ語から派生しているのだ。若い人たちもこの二つの言語を使い分けているようだった。さて、今でさえ複雑な状況のアルザスの言語事情だが、作者はその歴史的変遷を追っていく。紀元前のはるか昔は、この辺りはケルト人の土地だった。多分、言語もケルトの言葉だったはず。だが、その証拠はほとんど残っていない。その後、ガリア(ケルト人を中心とした小国の集まり)がローマとの抗争で弱体するうち、紀元後数世紀でアルザスはゲルマン人が多く住む土地となった。それからは千数百年にわたってアルザスはゲルマン語を話す人々が暮らしていた。そう、この頃は、今で言うドイツ語圏だったのだ。その歴史が方言のアルザス語として今も引き継がれている。
だが、アルザスの悲劇はその後、さらに悪くなっていく。大国の狭間の土地であり、川や幹線道路など交通の要所にもなっているアルザスは、軍事戦略的にも「重要」な地域だ。どうしても取り合いの的になってしまう。神聖ローマ帝国の崩壊とともに政情は不安定となり、アルザスはまたも戦火に巻き込まれ、フランスとドイツとの間で取り合いが続き、そのたびに公用語がフランス語になったり、ドイツ語になったりしたのだ。言語政策の意味で大きな出来事としては、ナポレオン三世の時代よりもフランス革命の時が徹底していたようだ。前者の時には、アルザスはフランス領にはなったがフランス語を押し付けられることは少なく、支配層の役人が公務をする際の「上流社会の言葉」として用いられるくらいだった。その後、ドイツ領にまた戻ったのちにフランス革命時にまたフランス領となった時には、「統一国家には統一された言語」が求められるようになり、学校教育においてもフランス語化の流れが非常に強くなった。国家というレベルでは、今を生きる大人よりも、次の時代を担う子供たちをターゲットにするのが常套なのだろう。かくして教育言語としてはフランス語が標準となる。とはいえ、大人たちはほとんどが方言であるアルザス語かドイツ語しか理解できない。フランス語で教えられる先生がいないのだ。フランス政府は教師養成の学校も整備していく。こうしてフランス語化は進められたのだ。
複雑な事情にあるのは方言としてのアルザス語。これがフランス語の方言ならば許容されたのかもしれないが、元はドイツ語。「敵性言語」であるとみなされてしまい、方言を締め出す動きも強まっていく。全体主義国家がよくやるように、通りや街の名前、企業や個人の名前までもドイツ語風(アルザス語風?)からフランス語に改められていく。あらら、これではあの「最後の授業」のドイツ語版(アルザス語版)の風景がこの頃、アルザスの街で起こっていたということなのか。
歴史はさらに悲劇的展開を見せる。ナチスドイツの台頭だ。ナチスは一気にフランスに攻め入り、アルザスをドイツ領とする。大昔の歴史から見れば「元に戻った」ようにも見えるドイツ領化だが、その前の二百年余りはフランス領であったアルザスは、すでにフランスになじんでいたのだ。そこをまた急にドイツ化されてしまう。しかも、今度はあのナチス。標準ドイツ語しか認めず、教師が足りているかどうかもおかまいなしにすべての授業からフランス語はおろかアルザス語までも締め出してしまう。結局、アルザス人にとっての自分たちの言葉であるアルザス語のことを考えてくれる中央政府はフランスにもドイツにもなかったのだ。
戦後、またフランス領となり、今に至っているアルザス。最近はアルザス語の復興運動が盛んになっているそうで、学校の授業でも教え始めているようだ。その立場上、ドイツ語とフランス語のバイリンガルにならざるを得なかったアルザスの人々。自分たちのアイデンティティとしてのアルザス語もちゃんと使い、残していこうとしている彼ら。島国に住む日本人にはどうしても理解するのが難しい話だ。彼らは自分たちの歴史をどう受け止め、そしてこれからどうしようとしているのだろうか。宗教、人種や民族間の争いが増加している二十一世紀。彼らのような人たちのもつ考え方の中に、これからを生きるためのヒントがあるのかもしれない。

反語的表現が多用されていて、それをそのまま訳しているので最初は非常に読みにくく感じた。だが、その表現方法自体も何かを語っているのかもしれない。残念ながら絶版になってしまっているようだが機会があれば読んで欲しい一冊だ。私はamazon.co.jpで古本を買ったのだが、街の図書館などで探してみるといいかもしれない。

関連記事 : 「言語の興亡」 言語の多様性は文化の多様性:ぶんじんのおはなし:So-netブログ
P.S. : 2010-06に復刊が決まったそうです!よかった、よかった。

アルザスの言語戦争

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  • 作者: アルフォンス・ドーデ
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最後の授業 (ポプラポケット文庫 422-1)

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コメント 2

魚月見砂

私もこのアルザス問題、聞いたことがあります。
でも、当事者でさえ、複雑な事情を含む問題。
自分がどこに帰属しているのかっていうのは、びみょーな
問題だと思います。
by 魚月見砂 (2008-01-14 13:17) 

ぶんじん

pinさんへ:
難しい問題ですよね。今、自分で書いたこの文章を読み返してみると、これは誤解しているんじゃないかと思える個所が…。まだまだちゃんと理解できていません。我々にできるのは、まずは正しく知ること、知ろうとする努力をすることなのでしょう。
by ぶんじん (2008-01-14 23:33) 

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