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「沈黙 Silence」 原作をとても丁寧に映像化している。そして窪塚洋介は、日本のユダを見事に演じていた [映画の感想]

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★ あらすじ

江戸時代初期の長崎。江戸幕府は切支丹禁教令を発布し、厳しく取り締まりを行っていた。それでも、密かに日本で布教活動を行っていたイエズス会の宣教師達は、あるいは捉えられて死罪となり、あるいは拷問の末に棄教させられていた。そんな中、高名な宣教師フェレイラの消息が途絶え、噂では棄教したと伝えられていた。かつて、フェレイラから教えを受けた弟子達二人(ロドリゴとガルペ)はそれを信じられず、自ら確かめるため、そしてまた日本での布教を建て直す使命を持ち、危険な日本へと潜入を図るのだった。

途中、マカオで漂流民の日本人キチジローと知り合い、彼を道案内に連れて行くこととなった。キチジローの家族は棄教を拒み、火炙りの末に殺されてしまっていた。

かくして日本に着いた二人は、隠れキリシタンの村人達にかくまわれる。そこで、村人達にミサを行ったり、洗礼を行ったりと、つかの間の“平和な時”をすごした。だが、そんな時間はすぐに終わりを告げる。キチジローが彼ら二人を裏切り、長崎奉行に村人らと共に捕らえられてしまったのだ。

長崎奉行は宣教師や切支丹達のことを熟知していて、ただ拷問をするだけではなかった。拷問の末の死は殉教となり、逆に切支丹達の結束を固めるだけだったから。そのため、ロドリゴ自体にはさしたる(肉体的)拷問は行われない。代わりに、村人達へ過酷な、残虐な拷問を加えていくのだった。そして奉行は、ロドリゴに棄教を迫る。

ロドリゴは、信仰を捨てずに殉教して天国での幸福を村人達に“強いる”のか、それとも目の前で繰り広げられる苦しみから彼らを救うのか(==ロドリゴが棄教する)の選択を迫られるのだった。

苦悩するロドリゴ。神に祈り、助けを求める。だが、神は沈黙を保ったまま、何も語らず、村人達を助けることもなかった。

★ キャスト&スタッフ

  • 出演 : Andrew Garfield, Adam Driver, Liam Neeson, 浅野忠信, イッセー尾形, 窪塚洋介, 塚本晋也, 笈田ヨシ, 加瀬亮, 小松菜奈
  • 監督 : Martin Scorsese
  • 脚本 : Jay Cocks, Martin Scorsese
  • 原作 : 遠藤周作

★ 感想

半年ほど前に原作を初めて読んだ。その時の感想はこちら 「「沈黙」 : 殉教者がもがき苦しんで死んでいっても沈黙を続ける神とは」。そのすぐあとに、この作品が映画化されると知り、それ以来、公開を楽しみにしていたのだ。
だが、マーティン・スコセッシ監督がこの原作に出会ったのは1988年のことだったそうだ。それから「この作品を映画化したい!」と想い続けていたものの、資金集めやら何やらで苦戦し、完成までに三十年近くかかってしまったのだとか。イエズス会の宣教師たちもすごいが、監督の熱意も大したものだ。巨匠と言われる人がそこまでして作った作品なのだから面白いに決まっている。
そして私の中で期待は膨らみ、やっと公開となって観に行ってきた次第。期待を裏切らない傑作でしたよ。

なんと言っても、キチジローを演じた窪塚洋介が良かった。強さを持った卑怯者という、非常に難しい役。それは端的に言えば”ユダ”のような存在なのだろうが、泣きわめくのではない、淡々とした演技が”リアル”だった。もちろん、ユダがどんな人物だったかは知る由もないが。裏切り続けながらも許しを請う。その矛盾を表すとあのような表情なのだろう。殉教しない・できない辛さ、惨めさの中に生き続けること。うむ、難しい役だ。彼の演技を見るだけでも価値のある作品。


かなり原作に忠実なシナリオだった。非常に難しく、かつセンシティブなテーマであるため、脚色がしにくいものだったからだろうか。それとも、素直に脚本家でもある監督のマーティン・スコセッシがこれで良しと考えたのか。
アフリカや中南米である程度の”成果”を見せたキリスト教の布教もアジアでは苦戦した。中国は懐の深さ故か、寛容な態度を取ったが、日本は違った。時の権力者に、いや国として余裕がなかったからだろうか。
宗教も文化的ミームの一つと考えると、それらが伝播していくとき、変容(遺伝子的にいえば突然変異)が生じるのは避けられないようだ。ある種の生物が生息域を広げていくとき、その”先端”においてはだんだんと姿形が変わっていく。そして、一方の端と他方とは異なった種になってしまう(分化してしまう)。宗教も同じようだ。先に棄教して、キリスト教の”弱点”を書物に書いていた(となっている)フェレイラ神父が「日本の信者たちが信じているものはキリスト教ではない。変容してしまっている。(彼らは太陽を崇めている)」と劇中で語っているが、そうかもしれない。人性と神性とが一体なのか別なのかなどで殺し合いをするほど異端に厳しいキリスト教だが、日本の当時の農民・漁民たちには全く理解できなかっただろう。彼らの想像の範囲に当てはめ、自分たちで納得した形にして”キリスト”の教えを捉えていたことは容易に想像できる。まあ、それはヨーロッパの一般民衆も対して違いはなかっただろうが。
となると、ロドリゴらの布教活動の意味とはなんだったのだろうか。幕府の弾圧に苦しんで神の存在を疑う(沈黙を保つ神)ことに悩むが、たとえ布教を続けたとしても、キリスト教がそのままの形で広まってはいないとしたら。
ロドリゴは棄教することはなかった。でも、その彼が信じた神とは、彼の中に存在する神、いや彼の心の中にのみ存在する神だったのかもしれない。たとえ群盲でも、本当に象が存在し、みんなでそれに触れることができれば語り合うことによって真実の形を想像し共有することはできるだろう。だが、形もなく、声も発しないものでは触れることも聞くこともできない。それでは目開きでもそれぞれに想像することしかできず、人々が同じ概念を共有できるかというと疑わしい。
私は神も仏も必要ないので、その点で悩むことはない。だが、神を信じる人のことを理解はしたいと思う。現代でも宗教対立は激しいし、人災・天災での犠牲者は後を絶たない。どう考えても神を擁護する必要はないほど「沈黙」を保ち続けている。でも、なおも神を信じる人はいる。どのように理解すればいいのだろうか。


非常におもしろい映画だった。原作とともに強く、強くおすすめします。観るべき一本。

★ 公開情報


★ 原作本

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紙版(文庫版)
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コメント 2

JUNKO

重い作品ですが、名作ですね、
by JUNKO (2017-01-25 17:30) 

ぶんじん

JUNKOさんへ:
宗教・信仰の問題だけではなく、文化の衝突だったり、格差社会だったり、色んな見方ができる作品だなと思います。名作ですね。
by ぶんじん (2017-01-26 13:56) 

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