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八丈島旅行記 : 歴史民俗資料館、ふるさと村、島酒の碑 [旅行 :旅日記]

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八丈島旅行記 : まとめページ(目次)はこちら

★ 歴史民俗資料館

前回の記事「八丈島旅行記 : 裏見の滝と名古の展望台」では、八丈島の自然を楽しむ観光スポットを紹介しました。今回は島の歴史や文化を知ることができるスポットの話です。
まずは八丈島歴史民俗資料館。こちらは、名前から分かる通りに、八丈島の歴史・文化・風俗に関する資料を集めた博物館。館内だけでなく、庭にも移築された高床式倉庫などが"展示"されています。入場料360円なり。
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展示室はAから順番に並んでいて、Jくらいまであったかな。ごめんなさい、忘れちゃいました。石器時代の遺跡から始まる展示は多岐に渡っています。八丈島には、日本本土からは元より、黒潮に乗ってさらにみなみの島々からも人がやって来ていた場所だったようです。

時代は一気に下りますが、江戸時代になると流人による文化流入が増えていきます。いわゆる"政治犯"的な罪で八丈島に送られた人びとには様々な教養を身につけた人も多く、それらを島の人びとに伝えたのでした。中でも有名かつ重要な一人が近藤富蔵。この人、島の子どもたちへの教育に熱心で、学校を創設したりしたそうです。でも、もっと重要な仕事をこの人はしています。それが「八丈実記」の編纂。これ、簡単に言うと"八丈島の百科事典"という感じ。文化、風習、自然、気候、産物、飢饉の時の様子などなどを克明に記していて、島の歴史を知る上でなくてはならない文献になっています。その一部がこちらに展示されているんです。
飢饉の際にはまさに餓死寸前という辛い経験もした近藤さん。でも、それ故か八丈島への愛情は深まり、一度は御赦免となって国に戻ったものの、再び自分の意志で八丈島に戻り、この地で生を全うしたそうです。流人の中には凶悪犯もいて、島に流されてきてふただび殺人事件を起こすものも少なくなく、島の人びとの流人に対する感情は複雑だったようです。でも、こんな近藤さんのような人もいたのは確かで、歴史の重みを感じさせます。
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八丈島の特産と言えば、養蚕によって得られた絹糸を織って作る黄八丈。かつては米の代わりに年貢として納めていたこともあり、とても重要な産品。機を織るのは女性の仕事だったため、子どもが生まれると男の子よりも女の子の方が喜ばれたとか。
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資料館の庭に移築された高床式倉庫。南国って感じがしますね。この写真だと分かりにくいですが、いわゆる"ネズミ返し"ってやつがこの脚の部分に付いていました。
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★ ふるさと村

歴史民俗資料館からちょっと歩いた先にあるのがふるさと村。古民家を移築・展示しています。入場料無料。

ゲート。と言っても、オープンなスペースなので、普通の家の門という感じで、門番やら切符きりの人がいる訳ではありません。
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母屋やトイレ(閑所と呼ばれていたようです)、高床式倉庫、牛小屋などが移築されていて、かつての暮らしが再現されています。
トイレはこんな感じ。肥料になりますからね。ちゃんと下に貯蔵できるスペースがあります。なんかメゾネットタイプの小屋みたい?!でも、以外と"隙間"が細いですね。狙いすましてしないと汚しちゃいそう。。。
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こちらはお風呂。温度調節が難しそう。
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八丈島ではこの玉石を積み上げた石垣をそこかしこで目にしました。島全体で、一体いくつの玉石があるんだろうかと言うくらい、もうそこら中にあるんですよ。川の流れでこれだけ大量には出来ないような気がするから、ゴロゴロと海の波に転がされて出来たのかな?
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近くに寄るとこんな感じ。
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ちなみに、ハート型の、石畳の石を見つけちゃいました。隠れミッキー的な感じで、お遊びで作られたのかな。見つけたらハッピーな気分になれるのは確かです。みなさんも見つけてみてくださいな。
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★ その他のスポット

その他にも、源為朝神社なんてのがあります。大島に流されて、そこで死んだはずの鎮西八郎為朝ですが、伝説では伊豆諸島全体を占領しただの、琉球に渡っただのと言われているそうです。

こちらは史実。護神山公園にある「島酒の碑」です。幕末の頃、財政逼迫のために薩摩藩は密貿易で利益を得ようとします。それが発覚し、責任を取る形で八丈島に流されたのが丹宗庄右衛門さん。薩摩出身だけあって、サツマイモから酒を造る技術を知っていて、それをこの地に伝えたのでした。米がほとんど採れない八丈島にあって、米以外から酒が造れるようになったのは大きな出来事。そのため、彼はのちに"八丈島のバッカス(酒の神)"とも称されるほどの存在になります。そして彼が伝えたサツマイモから造る酒(芋焼酎ですね)が島酒と呼ばれるようになり、それを記念してこの碑が建てられたのだそうです。
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こんな歴史を知り、その遺跡や記念碑などを訪れたあとに島の料理、お酒をいただくと一層美味しくいただけるというもの。そんなのも旅の楽しみの一つです。



旅日記はまだ続きます。次は八丈島で食べたものを紹介します。

ANAの旅行総合サイト【ANA SKY WEB TOUR】




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コメント 2

JUNKO

玉石の石垣珍しいですね。初めて見ました。
by JUNKO (2014-12-12 20:16) 

ぶんじん

JUNKOさんへ:
私も初です。でも、八丈島はもうこればかり、数日いるだけで見慣れてしまいました。
by ぶんじん (2014-12-13 22:07) 

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