BESSA-R4Mで池袋富士塚・氷川神社 [散歩写真]
花冷えが続く毎日ですが、開花宣言のあった先週末はぽかぽか陽気。例によってぶらぶら散歩に行ってきました。今回は池袋を起点にしてあっちこっち。
池袋は西口に東武デパートが、東口は西武とコマーシャルに歌われていますが、まずは西口に。ここからちょこっと北に向かいます。池袋自体、余りこない街なのですが、特にこっちの方は初めて。地図を何度も見ながらうろうろしちゃいました。首都高をくぐった先にまずあったのが重林寺。お彼岸ということもあって墓参りの人もちらほら。鐘楼があったり、いろんな石碑があったりと見るべきものが境内のあちこちにあるんですが、切れ長の目をしたお地蔵さん達が一番だったかな。
でも、こっちにきたのはここが目的地ではありません。池袋富士。氷川神社にある富士塚が第一の目的地です。お寺を出て、鉄道学校のある路地に入ります。昭和鉄道高校、東京交通短大などが道の両側に並んでいるんですが、さすがは鉄道関係の学校、校庭に機関車や列車が。鉄道少年(おじさん?)という訳ではないんですが、やっぱりこういうのを見ると楽しくなっちゃいますね。でも、この電車を使って授業をしたりするんでしょうか。それとも、今の時代はやっぱり電車でGo!なのかな?
住宅地をクネクネと歩いていくと氷川神社の参道に。実際は携帯電話のGPS機能+地図ソフトを使って迷いながらたどり着いたんですがね。そう、この氷川神社の境内に池袋富士はあります。本殿の横にどーんと大きな塚があるんですよ。溶岩と思われるぼく石を積み上げた塚は高さ5メートル、幅18メートルだそうです。山腹には無数の石碑が建ち並び、信仰の深さが感じられます。富士塚信仰は江戸時代に盛んだったようですが、この塚が造られたのは明治四十五年。そう、明治も終わりの年。その頃でも街の人々の間には、これだけの塚を造ってしまうほどの信仰心、結束力があったんですね。ちょっと驚きです。
残念ながら「お山に登らないでください」の立て札があり、周りから眺めるだけしかできないのですが、それでもお猿山の石像があったり、天狗の像とおぼしきものがあったりと、富士塚につきもののアイテムをいくつも発見できます。ちゃんと登山道もあって合目石(何合目と記した石塔)が配されており、山開きの日には富士山講の人々がここを登ってお参りをするのだと思われます。七月一日がその日のようなので、今年の夏は狙って来てみますかね。
ということで、第一の目的地はクリア。さらに散歩は続きます。
カメラ:BESSA-R4M
レンズ:SnapshotSkopar 25mm
フィルム:DNP CENTURIA 200
笠地蔵ならぬニット帽地蔵。ぽかぽか陽気にちょっと暑そうでしたよ。
ついでに学校に駅を作り、そこまで電車で通えたら楽でいいんでしょうが。
枝垂れてます。
まさにお山。この溶岩、富士山から運んできたんですかねぇ。
丸に三の字がトレードマークなんですね、この講の。丸三講というのでしょうか。
登山道入り口両脇には一対の猿の像。
富士山の後ろ姿。本物だと、山梨側からの眺めと言うことになるのでしょうか。
氷川神社の境内には土俵もありました。いやぁ、立派な神社ですなぁ。
今回の氷川神社・池袋富士は載っていないんですよ。でも、ぎりぎり重林寺は載ってます。
池袋は西口に東武デパートが、東口は西武とコマーシャルに歌われていますが、まずは西口に。ここからちょこっと北に向かいます。池袋自体、余りこない街なのですが、特にこっちの方は初めて。地図を何度も見ながらうろうろしちゃいました。首都高をくぐった先にまずあったのが重林寺。お彼岸ということもあって墓参りの人もちらほら。鐘楼があったり、いろんな石碑があったりと見るべきものが境内のあちこちにあるんですが、切れ長の目をしたお地蔵さん達が一番だったかな。
でも、こっちにきたのはここが目的地ではありません。池袋富士。氷川神社にある富士塚が第一の目的地です。お寺を出て、鉄道学校のある路地に入ります。昭和鉄道高校、東京交通短大などが道の両側に並んでいるんですが、さすがは鉄道関係の学校、校庭に機関車や列車が。鉄道少年(おじさん?)という訳ではないんですが、やっぱりこういうのを見ると楽しくなっちゃいますね。でも、この電車を使って授業をしたりするんでしょうか。それとも、今の時代はやっぱり電車でGo!なのかな?
住宅地をクネクネと歩いていくと氷川神社の参道に。実際は携帯電話のGPS機能+地図ソフトを使って迷いながらたどり着いたんですがね。そう、この氷川神社の境内に池袋富士はあります。本殿の横にどーんと大きな塚があるんですよ。溶岩と思われるぼく石を積み上げた塚は高さ5メートル、幅18メートルだそうです。山腹には無数の石碑が建ち並び、信仰の深さが感じられます。富士塚信仰は江戸時代に盛んだったようですが、この塚が造られたのは明治四十五年。そう、明治も終わりの年。その頃でも街の人々の間には、これだけの塚を造ってしまうほどの信仰心、結束力があったんですね。ちょっと驚きです。
残念ながら「お山に登らないでください」の立て札があり、周りから眺めるだけしかできないのですが、それでもお猿山の石像があったり、天狗の像とおぼしきものがあったりと、富士塚につきもののアイテムをいくつも発見できます。ちゃんと登山道もあって合目石(何合目と記した石塔)が配されており、山開きの日には富士山講の人々がここを登ってお参りをするのだと思われます。七月一日がその日のようなので、今年の夏は狙って来てみますかね。
ということで、第一の目的地はクリア。さらに散歩は続きます。
カメラ:BESSA-R4M
レンズ:SnapshotSkopar 25mm
フィルム:DNP CENTURIA 200
笠地蔵ならぬニット帽地蔵。ぽかぽか陽気にちょっと暑そうでしたよ。
ついでに学校に駅を作り、そこまで電車で通えたら楽でいいんでしょうが。
枝垂れてます。
まさにお山。この溶岩、富士山から運んできたんですかねぇ。
丸に三の字がトレードマークなんですね、この講の。丸三講というのでしょうか。
登山道入り口両脇には一対の猿の像。
富士山の後ろ姿。本物だと、山梨側からの眺めと言うことになるのでしょうか。
氷川神社の境内には土俵もありました。いやぁ、立派な神社ですなぁ。
今回の氷川神社・池袋富士は載っていないんですよ。でも、ぎりぎり重林寺は載ってます。
ご近所富士山の「謎」 富士塚御利益散策ガイド (講談社プラスアルファ新書)
- 作者: 有坂 蓉子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/12/19
- メディア: 新書
タグ:富士塚
丸ノ内線なつかしい!
by カエル (2009-03-30 23:04)
池袋の東武側には、ほとんど行った事がありません。
たまに、行くと大抵迷子。
それにしても、この溶岩は見事です。
本当に富士山から運んできたのかしら。
by mamire (2009-03-31 00:57)
カエルさんへ:
そうか、丸ノ内線の車両だったのか。この学校が買い取ったんですかね。でも、なぜ丸ノ内線だったのかな。
mamireさんへ:
私も今回はかなり迷いました。東京の住宅地はほんと、道がわかりにくいですね。
江戸時代にはそうだったみたいです。ここのはどこの溶岩なんでしょうね。そこまで看板には書いていなかったなぁ。
by ぶんじん (2009-03-31 22:19)