「図像学入門 疑問符で読む日本美術」 美術館に行くのが楽しくなる、超~読み易い入門書 [読書 : 読んだ本の紹介]
★あらすじ
仏像ならば、仏がどのような姿をしていたかを伝えるため。だから、(美術品を見ても)とくに感動しなくても、美しがらなくてもいい。意味を知ってなるほどと思うことも、立派な観賞なのだ。そして、この作品がどういう意味だったかを読み解くのが図像学(イコノグラフィー)である。説明を聞いて意味が分かれば、千年前の作品もぐんと身近になる。観音にはヒゲがある。(観音)菩薩は、「将来、悟りを開くが、今はまだ悟る前の状態」にある。仏像を絵に描く場合、菩薩の描き方には決まりがある。出家前の釈迦の姿がモデルとなっているので、華やかな若い王子の姿なのだ。王子なので男だし、ヒゲもある訳だ。慈愛に満ちた存在の観音なのだが、ルール上は男として表現しないといけなかったのだ。
釈迦や阿弥陀などの如来は、悟りを開いた人。菩薩とは違い、服装は質素だ。そして、阿弥陀も薬師も、釈迦と見た目はほとんど同じ。過去や未来を通し、世界のどこかには、悟りを開いた人が釈迦意外にもいただろうと人々は考えた。その結果、似たような姿の仏ができたのだ。
だが、如来それぞれに“役割”が割り当てられてくると、持ち物によってそれを表すようになる。また、手の形(印相)でも違いを出して、それぞれが見分けられるように工夫した。例えば、薬師如来ならば薬坪を持っている、と言う具合だ。
絵巻物は、その“生い立ち”がマンガとよく似ている。どちらも初めは字の読めない人のための補助手段として登場した。そしてその後、大人の観賞に堪える作品へと成長していき、大ブームとなった。
だが、「源氏物語絵巻」などで描かれる登場人物は、誰もが引目鉤鼻(ひきめかぎばな)の顔つきだ。線一本で描かれた目、カギ括弧のような鼻なので、そう呼ばれている。みんな同じ顔。男も女も区別が付かないほど。
なぜこんな風に没個性的な描き方をしているのか。当時は、高貴な人ほどはっきりと姿を形容することは避けられ、抽象的に言い表すのが習わしだった。名前すらはっきりとは呼ばれない。とは言え、絵巻物の登場人物が全て“抽象的”では不味い。そこで、このような顔つきになったのだ。つまり、引目鉤鼻で描かれた人物は高貴な人だ、と言うことが逆に見て取れるのだ。
このように、その意味を知って絵画を見てみるとまた違って見えてくる。そして、興味をもって見ることができるようになるだろう。
★基本データ&目次
作者 | 山本陽子 |
発行元 | 勉誠出版 |
発行年 | 2015 |
ISBN | 9784585270263 |
- まえがき 日本美術の新たな楽しみ方
- 第1章 釈迦の生ーー仏像の基本
- 第2章 仏像の種類ーー4つのタイプ
- 第3章 曼荼羅ーー密教世界の地図
- 第4章 六道輪廻と浄土
- 第5章 神々のすがた
- 第6章 人のかたち――肖像と似絵(にせえ)
- 第7章 絵巻物――物語を絵にする
- 第8章 山水画と花鳥画――神仏でも人でもないもの
- 第9章 浮世絵
- 第10章 西洋絵画と日本
- あとがき 奥の手ーー私の好きな一点ーー
★ 感想
語り口は非常にフランク。とても親しみやすく、楽しく読める一冊だ。絵画鑑賞、ましてや図像学となると敬遠されがちだが、こんな風に語ってくれると楽しく学ぶことができる。それでいて、奈良時代から現代に至るまでの日本美術を概観してくれている。著者の専門は日本中世絵画史だそうだが、いやいや、全般に渡って人に語れるだけの広い知識を持っているのだから流石です。「第6章 人のかたち――肖像と似絵(にせえ)」は、私にとって初耳のことが多く、特に面白かった。例の“引目鉤鼻”からいかに脱して、リアルな肖像画が描かれるようになったのか。それは、一人の天才が登場したから。彼はタブーを犯し、高貴な人々の顔かたちをリアルに描いて見せた。そして、余りの出来に、当時の天皇を初め、貴族たちも感心し、彼を賞賛したのだそうだ。なるほど、日本のルネサンスの始まりってところですかね。
藤原隆信、チェックせねば。
「第9章 浮世絵」では、歌川広重の「東海道五拾三次 日本橋・朝之景」が紹介されているが、そこに描かれた、お尻だけ見えている犬について著者は「魚河岸のおこぼれに預かっている微笑ましい姿」と言ったニュアンスで紹介している。だが、別の研究家の記事「犬の尻に隠された、恐ろしい浮世絵の謎: 歴史・文学研究家&作家の部屋」には、「手前右側の木戸で隠れている部分は罪人のさらし場だった。のこぎり挽きにされた罪人の血の臭いでも嗅いで集まってきたのかもしれません」としている。
どちらが正しいのかは分からないが、これが図像学の面白いところ。その絵画や彫刻が作られた時代の人々は、見ればすぐに何を意味するか分かったはず。そう、図像学とはその時代時代の“常識”や“トレンド”がどんなものだったのかを知ることなのだ。今だと(ちょっと前だと?)“ペンとパイナップルを持った人物”が描かれていれば、それはピコ太郎(PIKOTARO)だと分かるだろう。そんな感じ。
絵画を、美術を楽しむには、その作品を作った人々の想いに共感するということなのでしょう。そのためのきっかけを作ってくれる、楽しい一冊でした。おすすめですよ、これ。
ご参考:「世界が驚いたニッポンの芸術 浮世絵の謎」
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すこし興味がある内容です。
by JUNKO (2017-08-20 19:07)
JUNKOさんへ:
とても読み易いのでおすすめです。
by ぶんじん (2017-08-20 22:53)
読んで、そして楽しんでくださって、ありがとうございます。
ひとことだけ、広重の犬のこと。「罪人の血の臭いでも嗅いで集まってきた」のではないと、私は思っています。広重は犬が好きらしくて、浮世絵の中にもよくかわいらしい犬ころを描いているので、「死体を喰らう犬」のイメージで描いたのではないと思うのです。もちろんあの説を全面否定するわけでもないですし、夏のミステリーとして面白がるのもいいのですが、この説であの絵が嫌になる人がいると気の毒なので。
by 山本陽子(著者です) (2017-08-26 17:38)
山本陽子(著者です)さんへ:
著者自らのコメント、恐縮です。面白くてためになる本、ありがとうございます。
時間の壁とは大きな存在ですね。その場に行ければひょいと板塀の先を覗けるのに。古地図を見ると、左側に「高札場」はあったようですが、右側は市場のようですね。おこぼれを食べていたのでしょうか。
by ぶんじん (2017-08-26 23:28)