「桜の園」: これは喜劇なのか。だとすると、人生はかくも悲しく可笑しいものなのだろう [読書 : 読んだ本の紹介]
★あらすじ
春の南ロシア。荘園には桜の園が広がっている。荘園領主の美しき夫人は、娘を連れての数年のパリ暮らしから久しぶりに故郷へと帰ってきた。彼女の兄や使用人たちも、彼女の帰郷を喜んで迎えた。だが、十九世紀末のロシアでは大きな社会変革が起きていた。皇帝アレクサンドル二世による農奴解放令発令以来、貴族の時代は終わりへと向かっていた。かつて農奴であった人びとが商人として財を成し、社会を動かすまでになっていたのだ。商才を持たぬ貴族たちは没落していくしかなかった。
そして、この桜の園も競売にかけられようとしていた。
実業家は夫人に、「桜の園を別荘地に変え、賃貸にすれば借金はなくなる」とアドバイスする。だが、夫人は桜の木々がなくなってしまうのを嘆き、その決断をなかなかしない。夫人の兄もビリヤードに興じるばかりで何もしようとしない。元々、夫人がパリに行っている間、荘園を切り盛りしなければならなかった兄だが、そんな才覚も持たず、借金を増やすばかりだったのだ。
結局、何も決断することもなく、何ら手立てを打つことなく、競売の日が来てしまった。そして、夫人が子供の頃から親しんだ桜の園も人の手に渡り、桜は切り倒されることになってしまう。
★基本データ&目次
作者 | チェーホフ |
発行元 | 岩波書店(岩波文庫) |
発行年 | 1998 |
ISBN | 9784003262252 |
訳者 | 小野 理子 |
- 第一幕 昔のままに子ども部屋と呼ばれている室内。ドアの一つはアーニャの部屋に通じている。薄明。日の出が近い。
- 第二幕 野原。久しくうち捨てられていた傾いた、古い小さな礼拝堂。そのかたわらに井戸と、かつては墓石だったらしい大きな石が幾つかと、古びたベンチが一つある。
- 第三幕 客間。アーチで向こうの大広間と仕切られている。シャンデリア[光源は多数の蝋燭]が輝き、控えの間から、ユダヤ楽団の演奏が聞こえる。
- 第四幕 第一幕と同じ舞台。窓のカーテンも、絵画もなくなっていて、残った少数の家具が、売り物のように片隅にまとめてある。がらんとした感じ。
- 解説
- 年譜でたどるチェーホフの生涯
★ 感想
時代の流れには逆らえない。時の流れは人びとを待ったなしで押し流していく。人はそうそう、変われるものではない。ましてや、三つ子の魂なんとやらで、子供の頃に身についた“価値観”は死ぬまで変わらない。なすがままに身を任せるのは愚かなことなのだろうか。それは喜劇なのだろうか。流れに抗うといっても、それは程度の差でしかない。大なり小なり、誰もが流されている。世界を、歴史を思うように変え続けた奴はいないのだから。
生まれ育った家がなくなるというのは寂しいものだ。それがどうにもできない時にはなおさら。でも、それが喜劇であるならば、笑って忘れ去り、未来を生きることができるだろう。その意味では、これは悲劇ではなく、喜劇であってほしいものだ。
自分で勝手にテーマにしている、「題名は知っているけど、実際に読んだことのない本を読む」シリーズ(?)の一環で、本作品を読んでみた。チェーホフ自体、真面目に読んだのは初めてだ。でも、未だに多くの人びとに愛されている作家(戯曲家)だというのは、この一冊を読んだだけでも分かる気がする。舞台や時代背景は大昔の、そして異国のものだというのに、描かれているテーマはとても普遍的。すぐに感情移入できてしまうし、自分の立場に置き換えて読み進めることができる。それは、「人はいつでも愚かなもの」ということなのか、「人の本質を描いているチェーホフの筆」のなせる技なのか。どっちにしても彼の作品は確かに魅力的だった。この作品にインスパイアされ、オマージュを捧げる作品が今も生まれ続けているのも、さもありなん、だ。
他の作品も読んでみようかな。でも、電子書籍版が出ていないのが難点。でもでも、おすすめです。
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読んだつもりで実は最後までキチンと読んでいない本って結構ありますね。メガネをすると眉間が痛くなるようになってから、読書は激減ですが電子書籍は助かります。
by JUNKO (2015-11-10 19:44)
JUNKOさんへ:
そんな本をボチボチ読んでいってます。
家は、本棚が溢れてしまったので、なるべく電子書籍にしてます。
by ぶんじん (2015-11-11 21:40)